最近はスマートな技術によって、 あらゆることがとても便利になってきました。 わざわざ店に行かなくても買い物ができることはもちろんのこと、 デバイスを取り出せば、ほとんど操作することなく、 現在地の天気や自分の興味がある情報を知ることができる。 外出先でエアコンなどの家電を操作することもできる。 便利ですね。
ただ、僕はこうも思うのです。 この便利さがある一定の水準を超えると、途端に人生がたまらなくつまらないものになるのではないかと。 自分自身が実際に移動したり、考えたり、大変な思いをして何かをしたりする必要がなくなってしまうからです。
ネットで飲食店の情報をいとも簡単に検索できてしまうと、 わざわざ自分の足で店を探して、 時には失敗してしまったり、逆に苦労して見つけた店の味に死ぬほど感動したりする体験が失われてしまいます。
個人的な話になりますが、 最近はグラフィックソフトではなく、木炭などのアナログな画材で絵を描くことが増えました。 木炭で絵を描くということは、木炭と紙の間で物理現象を起こすということなんですね。 物理現象なので、グラフィックソフトと違って、毎回同じような現象が起きるとは限らない。 うまくいかないこともある。 アナログな画材で絵を描くこと自体が素晴らしい体験になっているのです。
こういう体験感はスマートにはないものだと思います。 スマートなデザインの中でも「体験」という言葉をよく使いますが、 デザイン用語の「体験」とアナログな「体験」では全く意味が違います。 スマートなデザイン用語における「体験」とは、あくまで「ゴール」に至るまでのプロセスにすぎないと思います。 スマートなデザイン用語における「体験」とは「体験」そのものではないと思うのです。
これはあくまで独断と偏見の予測ですが、 人はこの先どこかのタイミングでスマートであることに疲れてしまうのではないか。 スマートは人の行動を極限までシンプルに単純化してしまうので、人生がつまらなくなってしまうと思うのです。 個人的には、この先、「アナログとスマートの融合」が来ると思っています。 あくまでアナログが主役で、アナログに新しい視点を与えるために、 ちょっとだけスマートが入るみたいな割合。
それはIoTとは全く違うもの。 IoTはバリバリのスマートですからね。 逆にIoTが「人のスマート疲れ」を加速させる要因になるでしょう。
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